つみたて投資の終わり方 100年生きても大丈夫!: 人生後半に向けた投資信託の取り崩しメソッドを解説!
カン・チュンド (著)
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○人生は有限だ。お金は使ってこそ、その価値が最大化する。
死ぬ前に、お金があるなら、それは、こころの負債だ。できるはずだった経験と思い出のみ購入額だ。
みたいなことが書いてある。
そのあとは、話が冗長だし、よくわからないバランスファンドをすすめてきたりして、どうなのかなという部分も多いけど。
『DIE WITH ZERO (ダイウィズゼロ)』という本は、お金と時間を賢く使い切って死ぬという本らしいけど、同じような考え方だ。
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私は、フロー的に考えると節約志向で、ケチケチして、貧乏人根性がある。
でも、最近は、死ぬとき資産ゼロくらいが一番よいかなと思って、消費を増やしている。
しかし、無理してお金をあげたり、お金を使っても、なんとなく無意味で満足度が少ない。
使い方がむずかしい。お金を使うのもうまい、へたがある。たとえば、かわいい子どもがたくさんいて、子どもにどんどんあげるからというひとは、運がいい。
あげたくても、孤児院に寄付するとかになってくるのかも。それもどうなのか。
私の場合、ほんの数万円でも、無駄遣いしたあと、将来不安から、こんなに無駄に消費してもいいのかなと心配になる。
たとえば、大地震がきて、家を建て直すとかなると、出費がかさむだろうから、それを考慮すると、やはりあまり使わないほうがいいのだろうか。
しかし、建て直すのはやめて、借りればいいだけなのかもしれない。借りると一度にでかい出費はないだろう。でも、借りても長期的には同じ金額になるのだろうか。
でも、大地震なら、そこで死んでいるかもしれないし、死ぬときゼロというものむずかしい。計算不可能な部分が多すぎる。
大地震以外にも、戦争とか大きなトラブルがあるかもしれない。
だいたい、ストックにしても、絶対的に安定したものではない。
預金は、インフレ税をとられるし、円安で価値がおちるし。リスク資産は、株が暴落するときがあったり、口座をのっとられたり、口座データが消えるとか、将来はわからない。
やはり、お金の使い方はむずかしい。お金は使わないと意味がないけど、お金を使っては、これでいいのかなと自問自答してしまう。
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